神秘的な湖のほとりに立つ老舗ホテルを舞台にした町田康さんの小説『湖畔の愛』(新潮社)は、ボケと突っ込み満載の恋愛コメディーだ。「人間、つまり自分の考えていることがあまりに訳がわからないので書いている」という町田さんにきいた。
本書は三つの短編連作集。意味不明な言葉を発する老人、天災級の雨女を愛した男、天才かもしれない芸人を擁する大学の演劇研究会一行――。ホテルという閉じられた空間に物語を背負った人々が集まる。
「大好きな吉本新喜劇を意識してます」
支配人の新町は真のホテルマンを目指しているが、つい妙な思考が漏れてしまう。到着客の名前がわからなかった瞬間、新町の頭の中で〈カッポーレカッポーレ〉と音が響く。〈音と文学の中間的なものに支配されるのは私の文学的悪癖。慌てて祓(はら)い清めて、にこやかに、「いらっしゃませ」 と言った〉
建前と本音が入り交じった従業員らの掛け合い、作者の声がナレーションのように入るのも絶妙のノリだ。「コメディーは普通は人前では言わない、言っちゃおしまいのところをやる。書いててもスカッとするし、読んでてもスカッとする」
最初の小説「くっすん大黒」(1996年発表)から、「階層や地域や時代をぐじゃぐじゃに混ぜる言葉のリミックスを試みている」。音楽的というより、音も含めていろんな角度から言葉を楽しむ。バンドのボーカルとして歌い、歌詞を書き、古典文学にも通じる町田さんだからこそ紡ぎ出せる文章がある。「日本語そのものが好きなんです。小説の言葉に音を取り戻したい。音に従属しすぎず、意味が勝ちすぎないよう、半々のバランスで」
子どものころ、漫才師が昔の俳優をネタにしていて、知らないけれど、大人と一緒に笑った。「今、ナマで生まれている言葉、流通している言葉を取り入れたい。消えてなくなるような言葉も、のちのち、味わいになるかも」
『告白』や『ホサナ』など長編では人の業という重いテーマを扱った。「人間の訳のわからなさという意味ではどの小説も同じ」という。「最もわからないことは、何故生まれて死ぬのかということ。意識が芽生えると死ぬのが怖くなる。意識を納得させるために宗教や政治などのフィクションが作られる。小説もその一つだが、解決のモデルはないし明晰(めいせき)でもない」
「自分は普通だと思っている人は既存の物語に麻痺(まひ)し、自我というものに中毒しているのでは」と語る。そして、町田さん自身もそこから逃れているわけではない。書くことは、一瞬の解毒の繰り返しなのだ。とすれば、読書は、作家の解毒の過程をたどることでもある。
「文章には本人がでる。何を考えているか、どういう価値観をもっているか。優劣じゃなく。自分を一回深くくぐってきた言葉だけで書いている小説は読んでて、一行一行、重い。自分はまだ、途中。もうちょっと頑張れば、自我という中毒から抜けられるかもしれない」(編集委員・吉村千彰)
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