2018年9月26日水曜日

人工知能に哲学を教えたら (SB新書)

人工知能についてあれこれ考える本

哲学者の著者が、現在の人工知能を哲学的な視点から読み解く一冊。人工知能は、善悪を判断できるのか、人工知能は恋愛するのか、人工知能は神を信じるのか、人工知能は人間を支配するのか、といったテーマについて思考実験しています。

■人工知能は哲学できる
人工知能は人間ができることを、すべて同じようにできるわけではない。人間以上の能力を発揮する分野もあれば、できないことも少なくない。問題を考える時、「0か100か」という発想をしないこと。「人工知能は考えることができない」と結論するには、あまり生産的ではない。むしろ、考えるという点では、人間と人工知能の差は程度問題であるとした方が柔軟な発想ができる。

哲学研究は、大抵過去ないし現在の哲学者のテキストを読み、そこから整合的な解釈を行うことである。人工知能が有力な武器になるのは、間違いない。

超短要約

■人工知能を理解するためには哲学が必要
哲学の歴史において、経験主義と理性主義の対立は、形を変えながら何度も繰り返されてきた。この対立は、人工知能の歴史を考える時も、極めて示唆的だと言える。

人工知能が開発された当初は、コンピュータに規則や推論や知識などをあらかじめ教え込み、そこから現実世界の具体的な問題解決を目指していた。これは哲学的な立場からいえば「理性主義」に基づく。人間が生得観念を持つように、人工知能にも規則や推論があらかじめ埋め込まれている。

しかし、具体的な状況は一律ではなく、変化に富んでいる。例外や偶発的な出来事も起きる。あらかじめ教えられた規則や推論では、うまく対応できない。今日では、ビッグデータを基にした「ディープ・ラーニング」によって、人工知能の新たな段階が始まった。規則や推論をあらかじめコンピュータに与えるのではなく、大量のデータの中から、コンピュータ自身が学習していき、最適の解を自ら発見するわけである。こうして、人工知能は理性主義から経験主義へ舵を切った。

確かに人工知能は現在、経験主義の立場から飛躍的な発展を遂げつつある。しかし、哲学の歴史が示すように、経験主義だけで完結することはない。問題は、経験主義か理性主義かという二者択一ではなく、むしろ2つの立場を常に念頭に置きながら、具体的に考えていくことである。

このように考えると、人工知能の現在の状況を理解するには、単に技術的な次元だけでなく、哲学的な視点が必要である。

著者 岡本 裕一朗

1954年生まれ。玉川大学 教授 哲学・倫理学者。九州大学文学部助手を経て、現職。西洋の近現代思想を専門とするが、興味関心は幅広い。 WIRED日本版のWIRED Business Bootcamp 2017「哲学講座」の講師を務めたり、「Innovative City Forum 2017―人工知能時代のアートの役割」と題したセッションに登場するなど、“哲学”と“テクノロジー”の領域横断的な研究をしている。

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