2020年11月3日火曜日

亜種の起源 苦しみは波のように

弱肉少食の進化論

自然や生命に「機械」という枠組みを組み込むことが科学的な真理になった。それは160年前にダーウィンが『種の起源』を発表してからだ。ダーウィンの説いた自然淘汰説は、その後メンデルの遺伝学と統合され、現在の生命科学の礎となった。

「自然は生存競争の場であり、生命の進化とは、この競争に敗れて子孫を残せない生物や人間が排除されることだ」と彼の自然淘汰説は説いている。彼の示した「弱肉強食」の進化論に従って生きていたら、私たちの心は壊れてしまう。

ダーウィンの進化論は、ジョン・ロック、ジェイムズ・ミル、トマス・ホッブスに代表される英国の哲学の影響を強く受けて誕生した。英国の哲学には、秩序の単位が一人ひとりの個人であると捉える特徴がある。ホッブスの「万人の万人に対する闘争」や、マルサスが『人口論』で語った「人は限られた資源を奪い合う」という考え方が自然淘汰説の起源であることが指摘されている。

ダーウィンの進化論が自然科学の権威から大きな支持を受けたのは、「生命現象は非生物にはない特別な力によって説明しなければならない」という生気論の考えを退け、機械的に進化を説明したからだ。ダーウィンの死後、アウグスト・ヴァイスマンは「生物が環境と適応していることについての考えを得る唯一の説明が自然淘汰説である」と主張し、「生物の特徴が遺伝によって事前に決められ、それが親から子に継承される」という遺伝子決定論の考えを1883年に提案した。この考え方は、現在の生命科学の礎となった。生物の進化や遺伝に関する自然科学が誕生したことで、人間の振る舞いや社会の在り方を自然科学の作法で、機械になぞらえて説明する自然科学主義が勃興した。

自然の本質は競争ではなく共生にある

自然淘汰説は『種の起源』が出版される前年の1858年にアルフレッド・ウォレスとチャールズ・ダーウィンの2人の業績としてリンネ学会で同時に発表された。しかしこの事実はダーウィンの圧倒的な名声の中で消失してしまった。ウォレスはインドネシアで研究を続け、自然淘汰によって種の分岐を説明するのに成功し、自身の進化論を完成させた。

ウォレスとダーウィンの自然淘汰説は異なっている。ダーウィンは他の生物との競争を、ウォレスは自然との共生を指標として進化を考えた。ウォレスは環境が変化しない条件下では個体の多様性と自然の間には均衡が維持されるが、種がそのままでは持続できない厳しい条件が生じると、種の分化と自然淘汰が生じると考えた。ウォレスは1889年に進化論に関する著書『ダーウィニズム』を出版し、ダーウィンの進化論と対決した。ウォレスは自然の本質は戦いではなく、相互扶助の舞台であると捉えた。自然を「幸福の大きな均衡が確保される体系」と捉えた時、ウォレスは進化という秩序形成のプロセスには、機械になぞらえたのでは見失ってしまう「高度な働き」が必要だと考えた。ウォレスは人間を進化させたのは戦いでも道徳的に装うのでもなく、内在性の高度な性質の機能によると考えた。

限られた資源しかない狭い場所に生物が集まった時、生物は細胞内共生や多細胞化という新たな生物を創出した。これは、競争相手を排斥することで限られた資源を独占するというダーウィンが描いた進化の構図とは大きく異なる。

雪の結晶は六角形を基本に多様なパターンを形成する。これは水分子が自発的に集まりできたものだ。このような現象を自己組織化という。進化は自己組織化という自然を貫く普遍法則によって説明できるし、しなければならない。

遺伝学はメカニズムによって生物の秩序を説明する。メカニズムとは、部品の組み合わせで機械が設計されているように、自然や生物を要素に分解し、要素間の因果関係を明らかにすれば、生命の本質は理解できると考えることだ。

しかし、生物はこの長い歴史の中で出会った生きづらさを自己組織化という自然を貫く力を通して克服してきた。生物は、機械のように在る(Being)のではなく、内部から湧き上がる力を使って成る(Becoming)のだ。成るとは自発的に生じる秩序の形成であり、新しい情報を生み出すことだ。従って、生命現象の予測は、これまで自然科学が扱ってきた再現性のある現象の予測とは異なる。

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